臨床心理士のうたたね日記

臨床心理士です。日々気ままに気がついたこと、関心のあることについて書いています。

3.11にできること

2011年3月11日から5年。

いま、できることって何だろう?考えます。あの時の怖さを思い出します。

2016年3月11日、ヤフーで「3.11」と検索してみてください。

Yahoo! JAPANで「3.11」というキーワードで検索された方おひとりにつき10円が、
Yahoo! JAPANから被災地の復興にたずさわる団体に寄付されます。

こちらです。
        検索は応援になる


<Yahooニュースより>
 閖上に住んでいた5歳の高玉そらちゃんは、震災から数カ月間、内陸部の避難所に家族とともに避難していた。作文を書いてもらうべく、筆者が避難所に原稿用紙をもっていくと、周囲の子が作文を書くのを見て、そらちゃんも鉛筆をとった。まだ文字を覚えたての拙い字だった。


 そして、こんな作文を書いた。



<わたしは、じしんにあったとき ほいくしょにいました。
 せんせいたちがしようがっこうにひなんさせてくれました。
 そのあとすぐにつなみがきておくじょうににげました。
 よるはとてもさむくてこわくてせんせいに、だっこしてもらいました。
 あさいちばんにパパがむかえにきてくれました。
 すごくうれしくてだっこしました。
 そのままそとにでてままのところまでつれていってくれました。ままのかおがみえたらきゅうにないちゃいました。
 じしんとつなみ、とてもこわいです。>


 気分が沈みがちな避難所にあって、そらちゃんら子どもたちの屈託ない笑顔は一筋の光明となっていた。


 それから5年。小学4年生になったそらちゃんに作文を頼んだところ、こころよく引き受けてくれた。


 5年前のことについては避難所の思い出を書いている。



<食べ物は食パンとおにぎりの毎日でしたが、自えい隊の人たちが来てからは、カレーなどいろんな物を、作ってくれました。あの時の私は五才で、毎日キャンプをしているようでとても楽しかったです。でも悲しいこともいっぱいありました。泣きながら家族を探しに来ているおじいちゃんやおばあちゃん、知人に会ってだき合う人たち、かべには亡くなった方の名前がはりだしてありました。夜中になると、津波の夢を見て、泣きさけぶ人たいた時は、体育館のあちこちですすり泣く声が聞こえました。とても悲しかったです。>


 震災を体験した子供たちの中では、まだまだ解決されない辛い悲しい体験として残っていることをまざまざと感じます。





日本臨床心理士会では以下のような活動を行っています。

東日本大震災心理支援センター

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